60年の歴史
1870〜1960
酪農組合の創設
—本格的な酪農の始まり—
当社の母体となった宮崎県南部酪農業協同組合、そして大隅酪農業協同組合と志布志酪農業協同組合。本編では、昭和26年から28年頃までに相次いで誕生した各組合の設立に至るまでの経緯を紐解いていく。
1870 | 鹿児島の知識兼雄が牛乳搾取を開始 |
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1874 | 土田退蔵、上別府村(現宮崎市)で搾乳業開始 |
1880 | 愛甲伸雄、荒襲牧場で搾乳業開始 |
1891 | 中郷村に石原牧場誕生。牛20頭を放牧 |
1895 | 北諸県郡畜産組合結成 |
1926 | 檍村の有志、任意の酪農組合設立 |
1930 | 檍村の酪農組合、後の宮崎県酪農業協同組合の母体となる処理施設を設置 |
1937 | 豊安有畜農業組合、農乳組合を設立 |
1943 | 「宮崎県酪農協議会規定」制定 |
1945 | 井上輝夫、日向農民公社を設立 |
1948 | 宮崎県酪農業協同組合設立 |
1952 | 宮崎県南部酪農業協同組合設立 大隅酪農業協同組合設立 |
1955 | 西志布志の酪農組合と志布志町の酪農組合が合併し、志布志酪農組合を組織 |
1960 | 志布志酪農業協同組合設立 |
1954〜1961
会社設立と企業合同
—幾多の苦悩を乗り越えて—
昭和29年、酪農振興法が制定され、都城・小林・北諸県・西諸県が集約酪農地域に指定された。南部酪農協はその指定地域内にありながらも、指定工場ではないことから各種の圧迫を受け、苦労を重ねる。そこで見い出した活路は、集約酪農地域の指定を外れていた大隅半島地域と力を合わせ、会社を組織することだった。
1954 | 酪農振興法が公布される |
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1955 | 都城市、北諸県郡9ヶ町村、小林市、西諸県郡6ヶ町村が集約酪農地域に指定される |
1957 | 霧島集約酪農業協同組合連合会設立 雪印乳業、霧島集約酪連の誘致工場として、霧島乳業有限会社を買収。小林で操業開始 |
1958 | 志布志酪農協、余乳を南部酪農協に委託加工開始 |
1959 | 臨時総会にて姫城新工場建設を決議。集約酪連参加拒否を示す 南部酪農協姫城工場完成 組合事務所を姫城新工場に移転 |
1960 | 南部酪農協、関西酪農の木之下部長を4月1日より組合の業務代行者として任命 南部酪農協、第9回通常総会にて南日本酪農協同株式会社の設立を決議 7月29日に会社設立登記完了。組合業務と会社業務を分離 |
1961 | 大隅酪農協、臨時総会において南日本酪農に企業合同を決定 志布志酪農協、会社参画決定 |
1961〜1969
新たな船出
−南日本で輝く星を目指して−
四面楚歌の中で立ち上がった南日本酪農協同株式会社は、会社発展に向けて新たな船出を迎える。まずは生乳の増産に対応できる処理工場として鹿児島工場を新設。さらに、余乳の処理に目処を立てるために鹿屋工場を稼働させた。その間も乳業界を取り巻く環境は目まぐるしく変動し、当社もそのあおりを受けることとなる。
1961 | 販路拡大を目指し、鹿児島市と大口市に進出 |
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1962 | 鹿児島営業所を開設 宮崎営業所を開設 |
1963 | 鹿児島大学生協と取引開始 |
1965 | 鹿児島工場着工 |
1966 | 鹿児島工場創業開始 |
1967 | 鹿児島工場第二期工事完了。 2ライン(毎時36,000本)稼働 |
1968 | 市乳の拡販のため延岡営業所を開設 |
1969 | 乳製品専門工場として鹿屋工場創業開始 |
1971〜1977
スコールの誕生とLL牛乳
—乳業路線拡張の切り札—
乳製品製造工場として稼働した鹿屋工場だが、余乳が出ない夏場の操業度アップという課題があった。さらに零細農家の急激な減少による生乳生産量の落ち込みなど、乳業界を取り巻く環境は厳しさを増していた。その窮地から当社を救ったのがスコールとロングライフ牛乳(LL牛乳)である。
1971 | 大阪市南区高津町に大阪研究室を開設 製菓原料用調製粉乳『ミルピー』の生産開始 画期的な乳性炭酸飲料『スコール』を開発 |
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1972 | 鹿屋工場、スコール用瓶ライン完成・発売 |
1973 | 全酪新世乳業に瓶スコールの製造委託開始 北部九州でスコールの販売開始 関西地区でスコールの販売開始。 “愛のスコール”としてヒット商品に 佐賀園芸連に缶スコール製造委託開始 |
1975 | スコールを中京地区で販売開始。名古屋での製造開始 都城新工場着工 |
1976 | LL牛乳中心の総合基幹工場として都城市高木町に都城工場竣工 |
1977 | 福岡営業所開設。LL牛乳の本格販売に着手 鹿児島県の離島でLL牛乳による学校給食牛乳開始 |
1978〜1988
生乳増産へ
—生産調整によって脆弱化した南九州の酪農に活力を—
石油危機による深刻な不況から脱したわが国であったが、乳製品の過剰在庫に端を発する牛乳の安売り競争など、乳業界を取り巻く環境は厳しさを増していた。当社はそのような中にあっても、新分野である“食べる牛乳”に力を入れたり、生産拠点を広げるなど、南九州の酪農をもりあげるべく積極策を講じていく。
1978 | アップルスコール、レモンスコール発売 ラクターゼ牛乳販売 |
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1981 | ドイツのボルグマン社及びエボグ社とクワーク応用製品の製造について技術提携 |
1982 | 都城工場にクワーク及びヨーグルト設備を新設 種子島酪連を吸収合併 ビフィズス菌を使ったドイツ風ヨーグルトを発売 |
1984 | 鹿屋工場の乳製品製造を中止し、都城工場に乳製品製造設備を新設 |
1985 | ヨーグルッペを発売 日本初となるチューブ入りコンデンスミルクを発売 |
1986 | 森乳業と提携しLL製造設備を新設。関東工場とする |
1987 | 日本ネッスル社の日高乳業日高工場を操業継続のまま買収 都城工場に超高級アイスクリーム製造設備を新設 屋久島に天然水の充填工場を新設。屋久島縄文水を販売開始 |
1988 | 種子島新工場竣工 |
1988〜1998
新規事業への挑戦
—さらなる事業拡張に向けて—
本業である乳業においてさまざまな積極策を講じる一方で、観光という新たな分野へ踏み出す。酪農後継者の育成と、消費者の酪農への理解を深めてもらうことを目的とした『高千穂牧場』。そして、家族揃っての長期滞在型へと変わりつつあった新たな観光趣向に応えるための『シーサイドホテル屋久島』がそれである。
1988 | 国民宿舎屋久島荘を買収 高千穂牧場建設完了 |
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1989 | リキュール類の免許(酒製造)を取得 リゾートホテル・ホテル屋久島新装オープン 高千穂牧場開設 |
1990 | クリームリキュール『ミルキーランド』発売 (有)高千穂デーリィファーム設立 |
1991 | 高千穂牧場オープン |
1992 | ホテル屋久島、新館増築起工式 |
1993 | 宮崎シーガイア高千穂牧場店を出店 |
1999〜2004
再建
—新社長を迎えての次なる歩み—
平成も始まってしばらく経つと、それまでに推し進めてきた多角経営化と急変した乳業環境が会社の経営を圧迫することになり、経営再建が急務となった。 会社創生期から長きにわたって当社を率いてきた木之下社長が退任。その信念は木之下と関西酪農協同時代から付き合いがある檀上昌也と、東京支店長などを歴任した若きリーダー加納昭に引き継がれ、会社は次なるステージへ歩みを進めていく。
1999 | 倍額増資初年度。1億6,000万円を増資し、 資本金6億4,000万円に 鹿屋工場と種子島工場のHACCPシステム、 厚生労働大臣承認取得 木之下社長が代表取締役会長に、 新代表取締役社長に檀上昌也就任 経営改善プロジェクト立ち上げ |
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2000 | 1億6,000万円を増資し、資本金8億円に 決算期を3月期から2月期に変更 木之下会長、会長を退任し相談役に 屋久島のホテル経営を移譲 |
2001 | 1億6,000万円を増資し、資本金9億6,000万円に 木之下相談役、相談役を退任し顧問に |
2002 | 執行役員制を導入 檀上社長が退任し、新代表取締役社長に加納昭就任 高千穂牧場カフェ・オ・レ、高千穂牧場のむヨーグルト発売 |
2003 | 本社および都城工場がISO14001取得 |
2004 | 基幹システム「NEXT’S」稼働 新たな経営理念を制定 |
2005〜2019
挑戦
—さらなる成長に向けて—
創業以来の木之下体制から、檀上、加納の両社長によって新たな一歩を踏み出した当社。全国そして海外への展開や、独自乳酸菌の新商品開発、それに伴う設備やシステムの導入など、創意工夫と英知を集結して、さらなる挑戦を続けていく。その背中にはいつも、酪農家の夢と願いを背負っているのである。
2005 | モンゴル伝統的乳製品由来乳酸菌の研究を開始 |
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2006 | 都城工場にESL製法を採用し、牛乳賞味期限を13日に延長 社史「デーリィ牛乳四十五年のあゆみ」発刊 |
2007 | 鹿児島県下5酪農協が合併し 鹿児島県酪農業協同組合が誕生 都城工場ポリボトル充填機使用開始 |
2008 | 鹿屋工場にポリ成型機搬入 |
2009 | 鹿屋工場CNC機ポリボトル220ml生産開始 |
2010 | LLデーリィ霧島山麓牛乳を香港へ輸出 |
2011 | 海外事業推進室を設置 |
2013 | 資本金を4億8,000万円に減資 |
2014 | 新コーポレートブランドロゴ『Dairy』を制定 日本コカ・コーラ株式会社と飲料事業の業務提携 |
2015 | コカ・コーラウエスト株式会社の自販機で スコール販売開始 |
2017 | 都城工場にLLミニラインを更新 |
2018 | 都城工場で使用する燃料を都市ガスに転換 |
2019 | 鹿屋工場にポリボトル成型機を増設 |
2017〜
未来へ
—変革のDNAを次代へ継承—
檀上、加納両社長の手腕によって着実に再建への道のりを歩み始めた当社。その流れは新社長、有村義昭に引き継がれていく。酪農家の減少による生乳生産量の低迷や少子化に伴う牛乳類の販売量減少など、当社を取り巻く環境は決して穏やかではないが、南九州の酪農家の夢と願いである「より新鮮でおいしい牛乳をたくさんの人に飲んで頂きたい」という想いを胸に社員一丸となって邁進していく。
2017 | 新代表取締役会長に加納昭、新代表取締役社長に有村義昭就任 |
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2019 | 加納会長が退任 |